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「なんか幸せ」について

ここ最近を振り返って「なんか幸せ」と感じている

 

一流企業に就職し、上司や業務内容にも恵まれた。

友人関係もぼちぼちだし、彼女もかわいい。

コロナで行動が制限され息苦しい部分があるが、それも不幸というほどではない。

 

この「なんか幸せ」の状態に、一方で違和感がある

 

というのもこの「なんか幸せ」の状態が継続するのかという不安と「もっと幸せ」があるのではという焦りが自分をそう思わせるのだ。

 

前者の継続性について、さらに自らの内部と外部の継続性という問題に分解できる。つまり、この状態に幸せを感じなくなってしまうのではという不安とこの状態が続かないのではという不安だ。今の衣食住や人間関係は十分満ち足りているし、社会の平均から見ても高いところに位置していると思う。一方である程度固定化されてきており、変化がない。ひとたび飽きが来てしまえばこの幸せは吹き飛んでしまうだろう。またこの状態が続かないのではという点については、今後生活環境の変化(転勤や転職、家族や病気)によってボラティリティがあるという誰しもが抱える不安を根拠にしており、解決策はない。

 

ひとまず40年この会社に勤めあげ、よさげな家族もでき、無病息災に過ごせればなんとかなるだろうと安易な納得をしていることに違和感がある。

 

後者の「もっと幸せ」があるのではというのが、前者よりもより根の深い幸せの課題だと考えている。というのもこの感情に至っている根本の感情が欲と嫉妬をベースにしているからだ。今よりも給料がもらえて、かっこいい仕事で、女の子にもモテて、簡単で、達成感があって、感謝されて、楽しくて・・・と希望することはたえない欲だ。また学生時代の友人・知人が自分よりも高次にそれらの欲求をかなえているのをみると嫉妬に襲われる。ぶっちゃけると、自分は三菱商事に並ぶ名門企業に入社できた。しかし、上を見れば外銀戦コンのより高い位のエリサラもいれば、医者弁護士といった先生キャリアのやつもいて、あげく起業で一発当てている奴もいる。そのような人たちへの劣等感が「なんか幸せ」を毀損する。

 

つらつらと書いてはみたけれど、答えが出るわけではない。

現時点の理解を記録するためにここに残す

 

 

 

学生時代は3食松屋の牛丼、一日1000円で生きていけたが、今ではもう耐えられない。